廃仏毀釈

「廃仏毀釈」は、皆さまがご存知の通り、明治政府の政策だ。 この政策は、誰が推し進めたのであろう? 仏教は、そもそも泉涌寺が皇室の菩提寺であったり、出家して僧になった天皇もいるほど聖徳太子の時代から天皇、公家が仏教を厚く信仰してきた。 仏教は神道とともに生活に浸透していたから、皇室も国民も、「廃仏」を望むものはいなかっただろう。 ではなぜ皇室も国民も望まないことが進んだのか? 「廃仏毀釈」は、キリスト教布教と同時にセットで起こっている。 明治期になると、様々なキリスト教宗派が挙って日本に進出してきた。 我が国が「キリスト教」を追い出したことが二度ある。 はじめは豊臣秀吉。1587年にバテレン追放令を出している。 次は徳川時代に入った1612年に出した禁教令。 では、どうして禁止したのか? 一言でいえば、キリスト教の「野蛮」な正体を見破ったたからであろう。 キリスト教以外の人間は虫けら同然に、「拉致して売り払う」、「神社を壊す」、「お寺を壊し、寺町を焼き払う」、とくに日本女性は高く売れたそうで、どんなに泣きさけぼうが、容赦がなかったそうです。 これを聞いた秀吉がバテレンを追放。 これが結果的に、日本を救った。 「廃仏毀釈」は、キリスト教の植民地政策の一環ではなかったのか? 薩長の背後にキリスト教の力が働いていたのではないだろうか? 西郷隆盛は横浜で洗礼を受けキリスト教に改宗した。 欧米人の植民地政策は、以下の特色がある。 1)キリスト教の布教 2)国内を混乱(少数民族を優遇したり、民族同士を対立) 3)キリスト教以外の宗教を破壊(神社、仏閣の破壊) 4)文化、伝統を破壊(有名遺跡など文化財を破壊) 5)家族を破壊(核家族化を推奨、LGBTを優遇) 6)資源の強奪(油田の権利など) これらは、現在のシリア、イラク、アフガニスタンでやったことと 同じではないか? なお、この運動に一人立ち向かった日本人がいた。 岡倉天心。
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