KANOを見てきました
台湾映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」をやっと見ることができました。
今まで地元でさえ勝ったことがない弱小野球部。 練習場は凸凹で水はけが悪く、自らボールの補修を行など環境面も恵まれず、まわりの理解も低いため予算もつかない最悪の環境の中、甲子園出場を信じて猛練習に励んだ。
そして、甲子園の決勝まで進む。 決勝は投手戦。 呉投手は指の負傷にも負けず投げ抜いた。 だが血が滲み出て滑り、コントロールを失う。
ついにファーボールで塁に。 そして満塁。 押出。 終了。
二回戦でKANOに敗れた北海道の選手が、「天下のKANO」と叫ぶと、大合唱へ。
感動せずにはいられない映画です。 暫く誰一人席を立ちませんでした。
これは実話に基づいているというから驚きだ。
台湾の植民地時代を美化しているというコメントが目に入った。
いつまでおめでたいことを言っているのだろう。
台湾統治(1895年ー1945年)、朝鮮統治(1910年ー1945年)の日本統治を見てみよう。
1)人口が増え(朝鮮は1000万人から2500万人へ増加)
2)農業の生産性も増え
3)学校も百倍以上に増え
4)道路や河川も整備され
5)収入が倍増どころか数倍以上になり
6)公衆衛生の知識が広がり
7)平均寿命が伸び(朝鮮は平均寿命が24歳から48歳に)
8)学校の教室は日本も台湾も朝鮮もなく皆平等
9)成績次第で出身地、民族などに関係なく出世できた
10)日本語の授業はあるが、その国の国語を残した(ハングルの授業に落第した日本人もいたとか)
次に、欧米の白人が行った場合を見てみよう。
インドネシアでも、インドでも、ベトナムでも、フィリピンでも以下のようだった。
1)奴隷の扱いで人口は減り
2)農業自体も、生産性も減少 ←自分たちの欲しいモノしかつくらせないので農民は飢えた
3)学校などつくらない
4)自分たちに都合が良ければ道路も河川も最低限整備するが、日本のように資金を与えることはない
5)収入はもちろん減少 ←奴隷
6)公衆衛生なんて教えるはずもなく
7)平均寿命は短くなり
8)植民地なので学校もつくらないので、同じ教室で学ぶわけがない
9)出世なんて夢の夢、アジア人を白人より劣る動物のように扱っていた
10)英語やフランス語を強制した(スペインに続き米国に植民地にされたフィリピンは今でも英語を主としている)
間違いがあれば指摘して欲しい。
日本人はそれぞれの国の人々と仲良くやって来たのだと思う。 これが欧米だったらありえない話だ。
米国が黒人にしたことを考えて欲しい。
奴隷船で米国に着く前に病気や暴力により、半数以上が亡くなったそうだ。 上陸したら奴隷として働かせた。劣悪な環境で。
第二次世界大戦中、黒人は最前線に送られた。日系人と同じように。
1960年代に入っても、バス、学校、プールが別々だった。 日本とは大違いだ。
韓国の大統領、朴槿恵さんの父、5,6,7,8,9代の大韓民国大統領が、このように述べている。
日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力だった自分を学校に行かせてくれた。すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している。(WikiPediaから)
私が二十歳くらいの時元新聞社に勤務していた方から聞いた話では、朝鮮戦争(北朝鮮と韓国)のとき、韓国の人々は命からがら南に向かって逃げた。米国人の神父は、着の身着のままの人々に食料を与えると同時に反日の思想を徹底的に振りまいたと、話してくださった。
その後もこれら裏付ける証言を、韓国人で日本米国と留学経験のある方に聞いた。
日本叩きの黒幕は米国だったのだ。