元号に思う

9月8日木曜日に日比谷図書館で開催されたセミナー(「元号」)に参加した。 先の天皇陛下のお言葉から急遽ではなく、もともと元号は「時刻と方位」を学ぶ一環で取り上げられた。 講師は、徳川林政史研究所の浦井祥子氏。 いきなり「生前退位」という言葉を、さも遠い昔からの言葉のように利用する感覚に違和感を覚えた。 歴史研究家なら歴史を大切に扱い、「生前退位」ではなく、「譲位」という言葉を使用してほしかった。 日本の元号は、645年(西暦)に大化の改新で「大化」と号したのがはじまりで、同じ天皇の元でも大きな祝い事、災いなどの節目に、新しい元号を発せられることもあっとか。一世一元となったのは明治以降で、元号法の公布も1979年と新しい。 現在は、皇位の継承があった場合に改まるしくみだ。 もともと元号はいまの中国で使用されてきた制度を輸入したもので、現時点では日本と北朝鮮にしか残っていない。 北朝鮮は金日成が生まれた1912年を元年としているので、1400年近く続けている日本と比べ物にならない。 江戸時代に新たな元号を決めるとき、徳川幕府はいくつかの候補を朝廷に差し上げ、朝廷は一つの候補としていたとのこと。 ある程度尊重しあっていたらしい。 この先生初っ端から「大化の改新」や「聖徳太子の存在」が歴史学会では否定されており、「かなり疑わしい」がフィクション、物語としてみれば問題がないと言ったり、はてまた元に戻ったり。立ち位置がはっきりしない説明は聴き辛い。 「聖徳太子の存在」に関しては、決着がついていると筆者は考えているが、まだこのような学者がいるとは驚きだ。 過去に何度か複数の先生が「聖徳太子の存在」を否定した。 新しいものでは中部大学名誉教授の大山誠一氏だ。 大山氏は自書『聖徳太子の誕生』(1999年出版、吉川弘文館)で以下のように述べている。 「厩戸王(うまやどおう)という一人の王族がいて、斑鳩宮(いかるがの みや)に住み、斑鳩寺(法隆寺)を建立したことは事実だが、その厩戸王と 偉大な聖人としての聖徳太子とは区別しなければならない。具体的に言えば、 憲法十七条を制定し、『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)を著したというのは 事実ではなく、偉大な聖徳太子に関する史料は、すべて後の時代に作られた ものである。はっきり言えば、捏造された遺跡のようなものだから、それに よって聖人としての聖徳太子の実在は証明されようがないというものであ る。(中略)私の説は、聖徳太子に関して伝えられた記録や伝承のうち、どこ までが真実かというのではなく、全部、後世のもの、つまり捏造したもので あるというのであるから、反論をしたい人は、これこそ聖徳太子が実在した という証拠を、たとえ一つでも示せばよいのである。」 大山氏は、日本書紀の記述は捏造であり、日本書紀より古い文献があるなら出してみろと宣ったが、 「播磨風土記」や「法起寺の塔の露盤銘文」、「法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘」にも記載があり、 決着はついているはず。 2014年に大平聡氏が「聖徳太子」という本を書いている。 お時間があれば、一読をお勧めします。
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