中嶋嶺雄と串田孫一

◆中嶋嶺雄先生と串田孫一先生の出会い 中嶋嶺雄氏は東京外国語大学受験の際、面接で志望動機を尋ねられ、「串田先生(串田孫一)がおられるから」と答えたという。 串田孫一氏は、外大で教える傍ら、詩人で哲学者、随筆家、そして登山家であり、名著のほまれ高い「若き日の山」、「山のパンセ」など、多くの著作を残した。 山が好きな中嶋氏は「若き日の山」を読んで、串田先生に憧れたらしい。 ◆荒小屋記 一昨年の平成25年、串田氏が家族とともに疎開していた、山形県新庄市の荒小屋を訪ねた。 小学校の近くで畑仕事をしている方に尋ねたところ、この辺の歴史に詳しい方を紹介していただき、やっと辿り着いた。 政六商店(串田氏に小屋を貸していた)から左に折れ、100メートルほど先だ。 いざ近くまでくると、見ないほうが結果的に良いのではという気持ちがぐいっと頭を持ち上げた。 数件連なった住宅が途切れ、畑が広がる手前に串田氏が建てた小屋ではなくその後建てられた家があり、今では住む人もなく取り壊される運命と、近所の方が話してくれた。  ここに氏がいたときを綴った「荒小屋記」という本がある。 荒小屋に関する記述は、全体から見ると五分の一もありませんが、味わいのある文章で、後はさまざまな山の随筆集だ。 本の中に演劇、特に歌舞伎の評論で知られる戸板康二氏が、わざわざ東京から訪ねて来たことが書かれている。 二人の友情がこの後も続いた。  ◆夕日に染まるアルプス 私は、戸板氏のことを小説家だとばかり思っていた。  Wikipediaを見てみると、三田線の芝公園を出るとすぐにNECの本社があり、その目の前に戸板女子短期大学がありますが、ここの創立者の孫に当たるらしい。 また、慶応大学で折口信夫氏に師事と書いてある。 敗戦時に「神やぶれたまふ」を書いた民俗学者だ。 ちなみに、長谷川三千子氏は「神やぶれたまはず – 昭和二十年八月十五日正午」を書いた。 正直、私には難しすぎて半分程度しか読めなかったので、今年、また挑戦したい。 中嶋先生と、串田先生おふたりの文章を読むと、論理的な構成はもちろん素晴らしいが、感性に裏打ちされた情緒的な表現も素晴らしい。 きっと田舎暮らしの経験も、お二人の感性を育んだように思う。 中嶋氏と、串田氏を結びつけた山、夕日に染まる美しきアルプスの嶺々をお二人は眺めたのだろう。
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