消えたシュメール王朝と古代日本の謎

岩田明氏が2004年に執筆した「消えたシュメール王朝と古代日本の謎」を読んだ。 岩田氏は商船三井の一等航海士として世界各地を巡り、定年後に執筆活動をはじめた。 メソポタミア文明(現イラク、ティグリス・ユーフラテス両大河に囲まれた地域に発達した文明)を育んだ民族、シュメール人と日本人の共通性に焦点を当て、日本との関係を推測していく壮大なドラマに仕上がっている。 後半は、インドで古代船を再現した帆船「キエンギ号」を操り、インドから日本を目指した航海を描いている。 1930年生まれとあるので、僕の父親より年上だが、行動力は並ではない。 日本で建造すると3億円かかる船を、インドで多くの人に支えられながら造ってしまった。 しかも、クルーやコックを用意して日本への航海。 脱帽だ。 消えたシュメール王朝と古代日本の謎 旧約聖書に描かれている「エデンの園」、「ノアの箱舟」もシュメールの影響を受けている。 エデンの園はクルナという町の川の側の一角にあるそうだ。 日本とのつながりは、 ・ 皇室の表紋である「十六弁菊花紋」は、古代シュメールが王家の紋章と同じ ・ シュメール(英語)→スメル(ラテン語)のスやスメ(共に尊い、崇高なるものの意味)は、天皇(スメラノミコト)に通じる ・ 長野にある道祖神とシュメールの王と王妃が手を繋いだ塑像がそっくり ・ 荷役作業のアラビア人のかけ声と、日本で地均しのときに使う「よいとまけ」の音律がそっくり ・ シュメールの音楽と雅楽がそっくり ・ 日本の相撲とそっくりな塑像(まわしを着けている) ・ カタカリの民族舞踊と歌舞伎がそっくり ・ 豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに/日本)とキエンギ(葦の主の地)の共通性 シュメール文明(紀元前3500年頃から紀元前2004年) ・ 世界最初の文字(楔形文字/せっけいもじ) ・ 優れた天体観測 ・ 暦を持っていた(「8月28日に、金星がバビロンの西方に消えた」などの記録あり) ・ 優れた数学(ピタゴラスの定理(紀元前500年ごろ)の3000年も前に、塾で出された質問と回答の粘土板が見つかる) ・ 優れた建築技術 ・ 大麦の収穫量は播種量の80倍(古代ローマでは4倍程度、ヨーロッパでは中世期になっても5倍程度)という脅威の収穫量 ・ 灌漑施設をつくる技術力(ラガシュでは東京ドーム5250倍の土地で麦を収穫)日干し煉瓦の技術 ・ 航海技術(オマーンやバーレーン、パキスタンのカラチと交易) ・ 蒙古班(シュメール人の血を引くイラク人、日本人にある) 日本人の祖先を推論する 岩田氏は、日本が以下の三部族の融合によってできたと考える。 一、高天原から降臨してきた「海人族」 ←シュメール人(鹿島神宮、香取神宮の近辺に辿り着く)弥生人 二、出雲の「出雲族(銅鐸部族)」 ←シュメールを祖としアーリア人と同化、中国朝鮮経由で渡来した 三、古来、日本列島に済んでいた人々「毛族」 日本人は、縄文時代から住んでいた「毛族」と、出雲に渡来した「出雲族」、これに現在の茨城県と千葉県の境に渡来した「海人族」の融合だと推論している。 以前、仕事で茨城県の鹿島で数ヶ月仕事をした。 そのとき鹿島神宮の成り立ちを、定宿にしていた小さな旅館のおばあさんに聞いたことがある。 藤原氏(中臣)と鹿島神宮は繋がりがあるとのことだった。 そのときは「そうですか」で終わってしまったが、昨年奈良を旅行で春日大社に立ち寄ったとき、春日大社は藤原氏の氏神を祭るために建てられたということを思い出した。 春日大社には4神を祭っているとのこと。 その内1つが鹿島神宮から、残り3つが香取神宮からいただいているという。 これで藤原氏と鹿島、香取両神社との繋がりが明らかになった。 平安時代の「延喜式神名帳」によれば、神宮と名のつくのは伊勢神宮、鹿島神宮と香取神宮の3つだけだ。(昭和になり緩和されて現在は25) そして両神社とも建立の年代が定かではない。 春日大社は768年建立。 WikiPediaによると、「天智天皇年間(668年-672年)には初めて使いが遣わされて造営のことがあったと記す」とあるので、それ以前ということが分かる。 壮大なドラマだ。
  »
«