KANO 1931海の向こうの甲子園

あけましておめでとうございます。 本年もどうぞ、よろしくお願いします。 大正14年に台湾で生まれた元技術者の方と話す機会があった。 その方の父上は、水力発電の技術者として台湾で働いていたそうだ。 その方は親近感を持って台湾のすばらしさを語ってくれたのだが、私ときたら、台湾の政治情勢を知らないばかりか、経済情勢、生活やライフスタイル、価値観など全く知らず、台湾旅行の話しもしてくださったが、台湾の地理にも疎いところを察してくださったのだろう、ご自身に関する話題に移られた。 遠く昔のことなのに、昨日のことのように語ってくださった。 高校時代を香港で暮らしていたとき、ポーランド人と思っていた同級生のパスポートを見る機会があり、「無国籍」と書いてあったため、ためらいがちに尋ねたら「自分はユダヤ人だ」と言った。  この女性はポーランドを脱出する直前に、腕にダビデの星を刻印され列車で逃げる最中に、刻印を消すためご自身の腕を傷つけたそうだ。 夏でも半袖の服を着ないので不思議には思っていたらしい。 その後、日本人の友人(もちろん、話し手)の名前を刺青にして隠したようで、ようやく半袖を着るようになったとのこと。 招集され戦地に赴く朝、この女性と数名の学友が見送ってくれたそうだ。 はじめての休暇に、彼女の家を尋ねたが、上海経由で満州に渡ったことを知った。 写真を見せていただいたが、とても美しい方で、左手の腕(肘から手首)の真ん中辺りに刺青が確認できました。  当時、ユダヤ難民を受け入れる国はなく(米国も、はるばるやって来たユダヤ難民を追い返したこともあるようです)、日本が統治している上海だけが入国ビザ無しにユダヤ人が上陸できた。 その上海を経由して、満州への避難を許可したのが、東京裁判で死刑になった東條英機元首相だった。 東條は、ユダヤ人を2万人救った。 日本はドイツと「防共協定」を結んでいたため、再三の圧力があったが屈せず、政府内の慎重意見にも対抗して、人命最優先を貫いた。 シンドラーの行為は工員を集めて金儲けするという私欲から発したもの、人道的な精神からユダヤ人を救った日本人と根本が違う(ラビ・マーヴィン・トケイヤー氏著「ユダヤ製国家日本」)。 そもそも、大東亜戦争が始まる以前、ベルサイユ宮殿で行われた、第一次世界大戦後の国際連盟のパリ講和会議で、日本は世界初の「人種差別撤廃」を明記するよう明確に求め採決で可決されたにもかかわらず、米国の大統領ウィルソンは「全会一致でないため提案は不成立である」とした。 その後、国際連合で「人種差別撤廃」が成立したのは1965年で、運用されたのが1969年となる。 台湾に戻ろう。 「KANO」という映画の話に進んだ。 今月(2015年1月)に封切りされるとのことで、調べてみたら、1月24日に東宝系で公開されるようだ。  1931年に甲子園に参加した台湾の高校野球の話で、監督、長瀬正敏演じる近藤兵太郎が弱小チームを決勝まで勝ち進めた実話をもとにしている。 ぜひ観たいと思う。 KANO http://kano1931.com/ 上映館 http://www.eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=296 余談ですが、台湾生まれ(当時は日本)のため、内地生まれの兄から「おまえは外地生まれ」と言われて悔しかったそうだ。
  »
«